放浪犬ミックの日記

京都左京区に移住して、京都ライフを楽しむことになりました。

放浪の旅 ~12日目 九州最南端鹿児島へ

9月18日(月)台風一過。雲ひとつない快晴に迎えられた。

 

絶景、鹿児島

見て、この雲一つない青空。透き通った青い海。居合わせた地元のカップルと話しをしていると、昨日台風はほとんど影響なく、あっという間に過ぎ去っていったのだとか。

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穏やかな景色。こういう景色を見てるだけで1日を過ごせそう。

鑑真記念館

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鑑真和上。歴史の授業でやった程度しかしらなかった。

奈良時代仏教で国を治めようとしていたため、僧には納税の義務を課さなかった。納税を逃れるため、自ら僧を名乗るものが多く仏教は次第に荒廃していったのだとか。

そんな状況をみた聖武天皇は、中国の高僧を日本に招致し窮状の打開を図るため、栄叡普照の2人を遣唐使として派遣し、鑑真へ頼んだのがきっかけとなる。

5度目の渡航でやっと日本へ渡り、唐招提寺を創建したのは有名な話。

そんな5度目の渡航でたどり着いたのがこの坊津(ぼうのつ)秋目(あきめ)にあたる。

5度の渡航の最中で病を患い視力を失った鑑真が日本で見たものはなんだったのだろうか。

 

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鑑真記念館-鑑真大和上の遺徳を偲ぶ- | いろは南さつま

 

知覧特攻平和会館

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鑑真記念館から走ること約1時間。

知覧にある特攻平和会館についた。第二次大戦後期に創られた陸軍航空隊の訓練校。戦況の悪化に伴いその姿は、特攻隊の出撃地として変わっていくことになった。

特攻隊の戦死者1,036名のうち、439名もの優秀な兵士たちが出撃の前日に三角兵舎で家族にあてた手紙が数多く展示されており、その手紙に多くの来場者は涙していた。

母親あてに書いた手紙には、国のために征ってきます。と力強い毛筆でしたためられているなかに、子としての感謝や残す者への希望などが込められており、今の世の中では想像することができないほどの精神力をもった先人が沖縄の海に散っていったのだろう。

したためられた手紙は、どれも達筆で高校生が到底書けるような文字ではなく、学問においてもとても優秀であったに違いない。当時のパイロットは、戦場の花形であり、難関を突破した優秀なものしか飛行機乗りにはなれなかったのだとか。

この知覧を舞台にした映画に「ホタル」や「俺は、君のためにこそ死ににいく」などがあり、この旅を終えたら是非ともこの映画を見てみたいと思う。

www.chiran-tokkou.jp

今、なお煙立ち上る桜島

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知覧を後にし、雄大の桜島を眼前で見たく港へ出た。

数分おきに大きな噴煙を上げる桜島。おじさんの話ではしばらく静かだったがこのところ元気だと笑っていたww。

そのおじさんにとんかつを食っていけと教わったので鹿児島中央駅そばにある「川久」へ。

黒豚ロースカツをいただく(1900円!)ちと高い。

昨日晩飯食わなかったから、まぁいいやと。

脂がジューシーでウマい。やっぱり豚は脂がウマいとたまらん。

setoguchiseinikuten.co.jp

 

ペロッとたべて、今日のさいごはさいごうどん。

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これだけ。もう少し見るところがあるのか期待していたけど、時間も遅かったため、ちょっと拍子抜け。写真だけとって、都城へ向かう。

都城温泉

決して新しいわけでもなく、風呂が多いわけでもない。地元の人が多く集まる湯治場。すごく優しいお湯でお肌すべすべになります。

各地の名湯に入ること12日目。どうやらこの旅で肌がきれいになってきたらしく、すこぶるお肌の調子がいいのを実感ww。

良いお湯いただきました。

hotspring-miyazaki.net

明日は、高千穂峡へ。